弁慶の泣き所

すね

弁慶の泣き所ってどこ?素朴な疑問を恵比寿整体院が解説します。

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弁慶の泣き所ってどこ?の解説です。

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ど~も、恵比寿整体院の内山です。

恵比寿整体院は今は三島市で営んでいますが、実は三島は源頼朝や義経、義経のお供である弁慶ともゆかりの深いところです。

まぁ、それは後で解説するとして先に「弁慶の泣き所ってどこ?」について少し解説。

弁慶の泣き所「むこうすね」をぶつけてしまったときには我慢するしかありませんが、すねのスジが張って痛いときや、すねがつるようなときはツボやストレッチなどのセルフケアがお役に立てます。



弁慶の泣き所ってどこ?

弁慶の泣き所はここ↓

弁慶の泣き所である脛骨

すねの骨、脛骨が弁慶の泣き所です。




弁慶の泣き所はすねの骨

すねの骨は2本あり、弁慶の泣き所ともいわれる脛骨とそのお隣に腓骨があります。

すねの骨

すねの骨格。すねの骨といえば脛骨(けいこつ)のことで、むこうずね、弁慶の泣き所ともいわれます。

このすねの骨をぶつけると豪快、豪傑な弁慶でも泣きたくなるような痛さ、ということで弁慶の泣き所と言われているんですね。

腓骨もすねの横ですぐ触れられますが、弁慶の泣き所より少し筋肉や腱に守られています。

脛骨の特に下の方は、皮膚の下にすぐ骨があり痛いんですね。


地味に痛い弁慶の泣き所

弁慶の泣き所の通り、すねは意外と急所なんです。

それは弁慶の泣き所、すねの部分には皮膚の下にすぐすねの骨(脛骨)があり、お肉で保護されていない部分で、ここをぶつけると骨に直接響く痛み、神経に直接触れられたような痛みが起こるからです。

でもね、そういう痛みはセルフケアできない…、我慢するしかない。

こんなところを地味にローキックされまくったら地味にKO。

格闘技って派手なKOより、こういう地味なKoの方が多いもんです。

格闘技ではありませんが、私も若いときはスケートボードにハマっていまして、弁慶の泣き所をぶつけまくってすねがボコボコ。

今でもすねがあっちこっちへこんでいます。

ついでに腓骨骨折&脛骨脱臼を同時にやらかしまして、弁慶の泣き所どころか脱臼を戻す時に痛くて気絶…

で、すねってぶつけると地味に痛いんですね、じ~んと後を引く痛みです。

すねのスジの痛みや筋肉のコリや痛みは、ツボやストレッチでセルフケアや施術できるんですけどね、骨をぶつけたような痛みや骨折、ヒビなどには対処できない。

弁慶の泣き所は人体の急所ですけど、実はツボも急所です。

ツボを狙う打撃系の格闘技もありますし、ツボを使う合気道などもあります。

ツボが癒しのポイントでもあり、急所であるのは面白いんですけど、ツボも弁慶の泣き所と言えなくもない。

ツボはインドでは「アルマ」、この「アルマを断つ」という意味が「断末魔(だんまつま)」になったといわれていますが、ツボもアルマも関節付近に多く、膝や肩、足首や股関節、首など関節自体がアルマ、急所でもあります、だから格闘技ではそこを狙うんですね。

弁慶の泣き所を守るすねパッド

弁慶の泣き所はサッカーなどでもよくぶつけるところですから、サッカー用のすねパッドがスポーツ店で買えます。

このすねパッドは他のスポーツでもお役に立てますから、弁慶の泣き所をぶつけるようなコンタクト系のスポーツや武道にはすねパッドがいいですね。

私も若いときはスケートボードでさんざん弁慶の泣き所をぶつけていましたから、すねパッドしてスケートしていました。


弁慶の泣き所を慰める(?)セルフケア

弁慶の泣き所は骨ですから慰められませんが、すねのコリやすねの張り、すねがつるときなどにはすねのツボやすねのストレッチがお役に立てます。

すねの筋肉(前脛骨筋)は足先を持ち上げる筋肉なので、スポーツや運動、ダンスや舞踊などでも、歩きすぎや階段の上り下りでも酷使するところです。

弁慶の泣き所周辺が痛い、すねのスジが痛い、すねの筋肉痛の時にはすねのセルフケアの記事をお役立てください。

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弁慶の泣き所で有名な武蔵坊弁慶

で、弁慶ですが創作とも実在したともいわれていますが、ど~も実在はしていたが活躍はしていない、という感じですね。

僧兵くずれ、義経のお供であったことは確かなようです。

歌舞伎の勧進帳、義経の伝記の中に登場する弁慶。

今、私が生活している三島市の家から歩いて一分ほどのところには間眠神社(まどろみじんじゃ)があり源頼朝ゆかりの神社です。

また近くには対面石(たいめんせき)というものがあり、頼朝と義経が再会して涙したところ。

ということは、義経にお供していた弁慶もこの辺を通りがかっているハズ。

そう思うと少し弁慶になじみがついてくるような気がする。

義経に再会して涙したハズの頼朝は、平家を破り鎌倉幕府を開く前に義経討伐を命じて義経は北へ逃げる。

逃亡中の石川県あたりの関所のドラマが勧進帳ですが、ここでも弁慶が大活躍。

そして、弁慶の最後は主君を守るために全身にいくつもの矢を射やれても仁王立ちして果てていく…。

「弁慶の立ち往生」として語り継がれているものですが、これは創作でしょう。でもそこに私たちは何かを見るコトができる。

結局、義経は妻子を殺し自分も自害とされています。

平家を滅ぼした源氏、頼朝と義経のドラマ、そこに登場する弁慶。

今では全てが消え去り「強者どもが夢のあと」。

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